ハインリヒ・シェンカーの世界

シェンカーとフルトヴェングラー

ハインリヒ・シェンカーとヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Furtwängler, Wilhelm(1886-1954))の間に 親密な交流があったことは、よく知られた事実である。 以下、この二人の巨匠の交流関係について少し述べたい。

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フルトヴェングラーがシェンカー理論に関心を抱いたのは191年、20代半ばのことである。 当時リューベックで若いコンサート指揮者を務めていたフルトヴェングラーは、 偶然シェンカーの第九交響曲についての研究書を入手し、これに強い感銘を受けたようである。 後年(1947)、「ハインリヒ・シェンカー ――― 一つの時代的な問題」(『音と言葉』所収)の中で自ら振り返って言うに、
「私は必ずしも細部にわたってすべてを是認したわけでもなく、 また著者の論駁好きな姿勢が極端にすぎると思われる箇所も多々あった。 しかし全体の問いかけ、その問いに答える信念や見識が非凡であり、 また論旨全体が他の通俗の音楽書とは隔絶の感があったので、 私は深い感銘を覚えたのである。 解釈学の片鱗すら見せずに、 ベートーヴェンの『第九シンフォニー』という作品の内部に何が 存在するかを直截的にかつ客観的に追求した試みとしては、 本書が最初のものである。」
といい、ここに以降深い交流を結ぶ端緒が見出される。 ただ一点付言しておくと、 シェンカーのこの著作は当時の音楽界の人間には好意的には受け入れられなかった。 確かに、この著作はシェンカーの名前を広く知らしめたのだが、 多くの音楽界の人間はこの論駁好きな理論家の研究書を 逆に論駁し返すために読んだというのが実情のようである。 だが、フルトヴェングラーは当時既にベートーヴェンを絶対的なものとみなしていたし、 また技術的なものを軽視する傾向にもあったから、 おそらくは彼にとっては音楽界に対するシェンカーの挑戦的態度や それが巻き起こす諸問題などはほとんど眼中になかったと推察される。 引用した言葉からも見て取れるように要するに作品内部に何が存在するかを追求したことこそが肝要だった。 そして二人に共通するこういった精神的態度、言うなれば作品全体を貫く絶対的なもの飽くことなく探求しようとするという狂気的なまでの姿勢がお互いを近づけ、 後々まで交流を結ばせたのである。
フルトヴェングラー指揮「第九」(足音入り)
実際にフルトヴェングラーとシェンカーとが対面したのが正確にどのタイミングであったかは、 私にはわかっていない。 先のフルトヴェングラーの論でも 「後日ヴィーンにやって来たとき、私は目的を達成し、シェンカーを訪問した。」と言うのみであり、 具体的な時期は明言していない。 ただ、内田光子の指揮者論 に「初めてシェンカーを知った三十五歳の頃から、シェンカーが亡くなるまでその元へ通いつめたんですって。バリバリの指揮者が、五十歳近くなるまで、十何年もですよ。」 という言葉があるから、初対面は『第九シンフォニー』を読んで約10年後の1920年頃と見るべきであろう。 シェンカーはこの時、50才を越えたあたりである。

フルトヴェングラーは初めて会った時の感想を後に次のように記している。
私が彼のうちに見出したのは、 彼の理論的な表現からくみ取られるものとは比較にならぬほど豊かな 生き生きとした体験を人間として駆使する著作家であり、 すべての事柄にきわめて強い関心を示すのみならず、 まさにこれ以上のことは望みえないのだが、 見かけは音楽理論となんの関係もない多数の問いに対して 個性的で創造的な答えを見出すことのできる人間であった。 事実シェンカーが偉大な音楽家の傑作を通して追求していた問題は、 人生のあらゆる領域に見られる切実な問題であったのだ。
フルトヴェングラーは実際にシェンカーと対面して、 さらなる感銘を受けたのである。 そしてこれ以降、彼等二人の蜜月の関係が始まる。 フルトヴェングラーに人文科学系の家庭教師をしていたヴァルター・リーツラーの言に依れば、 「のちにヴィーンに行ってからはあらゆる機会を利用して接触しようとし」、 また「指揮することになった古典主義の作品を可能なかぎりシェンカーといっしょに研究したと言われている」ということである。 我々が入手可能なシェンカーによる交響曲のアナリーゼは、 まとまったものとしてはベートーヴェンの「第九(1912)」「運命(1921-23)」「英雄(1930)」、 それからモーツァルトの39番ぐらいであるが、 これ以外の作品もあるいはまたシューベルトやブラームスの交響曲の解釈にもシェンカーの影響は影を落としているのである。

リーツラーはまた、この時期のフルトヴェングラーがいかにシェンカーの影響を受けていたかを示すエピソードを述べている。
現代の和声法から強い感銘を受けた時期がある、 とフルトヴェングラーは私に告白したことがある。 1925年ごろヒンデミットの初期の作品のすぐれた構造を フルトヴェングラーはおおいに賞讃したが、これは長くは続かず、 以前の考え方に戻った。 これにはヴィーンの音楽理論家ハインリヒ・シェンカーの影響がはたらいただろうと推測できる。
フルトヴェングラー指揮「運命」(戦後復帰ライブ)
また、解釈上どれほど影響を受けていたかは、 彼自身が語った「ベートーヴェンと私たち(1951)」(『音と言葉』所収)から直ちに看取できる。 これは「運命」交響曲の解釈から始まってベートーヴェンの深遠さを延々と述べた論文であるが、 ここで「運命」交響曲について述べた文脈はそのほとんどが シェンカーの『第五交響曲の分析』にも見出される内容である。 もし「運命」のCDが何種かあれば試しにかけてみてもらいたい。 第一楽章冒頭のEs-Dの音の進行(ソソソミーファファファレーのうちのミ→レという進行)は、 シェンカーが根元線表でこの楽曲を貫く最も根源的な進行として指摘したものだが、 これがフルトヴェングラーの演奏においては極めて動的なエネルギーをもって響き、 そしてそこから楽曲が自然に生成していくのがわかるはずである。 私はワインガルトナーやトスカニーニやクライバーなどを聴いてみたが、 この進行がフルトヴェングラーほど意味を持って響いたのは他になかった。 いかに彼等二人の関係が深かったかがわかるというものである。

しかしながら、彼等二人の師弟関係はそう簡単には片付けられない面もある。 というのは、フルトヴェングラーはシェンカーの死(1935)後には彼の欠点についても口を閉ざしはしなかったからである。
彼の思考に見られる一種の極度に理屈っぽい傾向が、 晩年にはあまりにも前景に押し出されたのであろうか。 それとも彼をしてまさに荒野に叫ぶ人たらしめた あの異常な孤立癖と孤独癖が、 究極的な明確さをもって語ることを妨害したのであろうか。 いずれにしろ最晩年の音楽理論の精髄ともいうべき「原旋律(=当サイトで根元線というものに同じ)」の構想は、 ついに完成を見るに至らなかった。
この同じ文脈で彼はシェンカーの「英雄」についての根元線の叙述も「あまりに抽象に堕し」ていると批判する。

フルトヴェングラーが「根元線の構想は、ついに完成を見るに至らなかった」 と考えているのはやはり我々としては注意すべきであるが、 残念なことにそれがどう「未完成」なのか彼は詳しく述べていない。 ただ一点指摘すると、晩年の「英雄」分析には確かに抽象的過ぎるところがあるのであって、 例えば第一楽章の第37小節で彼は変ロ長調(第二主題の調性)への転調を主張しているが、 これはリーツラーも反論しているように明らかに行き過ぎである。 したがってこの点についてはやはりフルトヴェングラーの主張のほうに分があると言わざるを得ない。

もちろん、叙述が抽象に過ぎるということが直ちにシェンカーの楽曲認識に 問題があったことに直結するのではない。 むしろ問題は、どこまでが真っ当に叙述されておりまたどこからが抽象に堕し過ぎているのかの見究めであろう。 それはフルトヴェングラー没後世代の我々の仕事といって過言ではない。



参考文献
フルトヴェングラー『音と言葉』白水社 (芳賀訳の新潮文庫版には「「ハインリヒ・シェンカー ――― 一つの時代的な問題」」は未収録。)
ゴットフリート・クラウス編『フルトヴェングラーを讃えて』音楽之友社